驚きの鉛筆画 木下晋の絵本原画展

「老い」と「病」に向き合い、鉛筆だけで「祈り」を表現する作家

        
  
森のパンダ

  
開催期間: 2022年10月29日〜12月23日(金)

開館時間: 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
     ※最終日は午後3時終了
休館日 :毎週水曜日
※11月23日(水)開館(翌24日は振替休館となります)
観覧料: 観覧料:一般500円(高校生以下無料)
    ※500円ですべての展覧会がご覧になれます

人間の内面世界に切り込んだ作品をモノクロームの鉛筆画で表現する作家・木下晋。最後の瞽女といわれた小林ハルさん、元ハンセン病患者の詩人・桜井哲夫さん、放浪癖のあった母、パーキンソン病を患う妻をモデルにした作品、月山にある注連寺の合掌図などで知られています。絵本作家としても『ハルばあちゃんの手』『はじめての旅』『森のパンダ』があり、2021年に中国の出版社から新作絵本『おばあちゃんの大晦日』が出版されました。今回、絵本の原画を一堂に展示して、日本の代表的鉛筆画家の表現世界を紹介します。

協力:画材の森 ル・ボア

【絵本原画】
ハルばあちゃんの手(2005年、福音館書店)
はじめての旅(2013年、福音館書店)
森のパンダ(2015年、中国・二十一世紀出版社、原題『熊猫的故事』。2017年日本語版、講談社)
おばあちゃんの大晦日(2021年、中国・浙江少年児童出版社、原題『奶奶的除夕夜』)

トークショーの開催日が決まりました!

【対談】木下 晋 vs 唐 亜明(元福音館書店編集者)

日時:11月26日(土)15時〜16時30分
会場:池田記念美術館エントランスホール
会費:入館料500円(高校生以下無料)

木下晋氏と唐亜明(たん・やみん)氏の対談を開催します。唐氏は、木下氏の初めての絵本『ハルばあちゃんの手』を編集担当して以来、『森のパンダ』と『奶奶的除夕夜』(おばあちゃんの大晦日)では絵本の文を執筆しました。木下氏との出会い、鉛筆画の魅力、絵本作家としての木下氏、中国での取材旅行などについて、どんな話になるか、ご期待ください。

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ハルばあちゃんの手

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おばあちゃんの大晦日

木下 晋(きのした・すすむ)略年譜

1947 木下家の次男として富山市に生まれる
1950 火事で実家を失い、山の中の竹藪で極貧生活。母は家出がちで、弟は餓死した
1952 母の元夫の墓参りで富山から奈良まで、母と一緒に徒歩と野宿の旅をする
1957 家出。児童相談所で父親や担任を拒絶する
1961 中学の美術教師の紹介で富山大学の彫刻家・大瀧直平の市民講座に通う
1963 父が仕事場で事故に遭って死去する
1964 農業高校2年生の秋、ベニヤ板にクレヨンで描いた作品「起つ」が自由美術協会展に入選(東京都美術館)。富山県史上最年少の入選としてニュースとなる
1965 親族とのトラブルがもとで高校を中退して看板屋に就職する。油彩画「カルタ取り」が2年連続で自由美術協会展に入選(東京都美術館)
1969 銀座の村松画廊で初の個展。富山県出身の詩人、美術評論家の瀧口修造と出会う
1970 柳原君子との結婚を反対されて駆け落ち。新潟市に住む。パン屋職人、絵画教室などで生計を立てる。翌年、娘・麗子が誕生
1972 メキシコの画家・シケイロスから助手として雇うとの約束を得るが、74年に死去したため果たされず。銀座の檪(くぬぎ)画廊で個展。現代画廊の主で美術評論家の洲之内徹と出会う
1973 「美の巡礼」のため渡欧。ロンドン、アムステルダム、ミラノ、パリを巡る。レンブラント、ゴッホ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチの作品に向き合い、精神と肉体を鍛え直す
1975 銀座の現代画廊で「木下晋油絵展」を開催(以後77、79、81、83、85年)
1977 新潟での生活を捨てて上京。埼玉県川口市に落ち着く
1979 池袋西武美術館の「荒川修作展─絵画についての言葉とイメージ」に衝撃を受ける
1980 手帖に日記を書き始めるが、文字がしだいに極度に細く小さくなり、のちに「ヒエログリフダイアリー」の作品となる
1981 米国での作品発表を目論んで渡米するが相手にされず挫折。ニューヨークで活躍中の美術家・荒川修作から「君は作家として最高の環境の中に生まれ育った。その母親を君は描くべきだ」といわれて、頭にこびりついていたコンプレックスが吹き飛び、鉛筆画への端緒となった。帰国後、洲之内徹と訪れた新潟県笹神村「石水亭」で偶然耳にした瞽女・小林ハルの瞽女唄に遭遇し打ちのめされ、これが鉛筆画への方向を決定づけた。この年、母をモデルにした鉛筆画「流浪」を完成
1982 1年がかりの交渉を経て「胎内やすらぎの家」でハルさんと初めて面会。モデルの承諾を得る
1983 新発田市の友人宅を前線基地に二日に一度、雪の中を3時間かけて胎内まで通って8日間で鉛筆画「ゴゼ小林ハル像」を完成
1985 二度目の渡米。荒川修作を再訪する。山形県朝日村の湯殿山注連寺から天上画の依頼を受ける(89年完成「天空之扉」、90年落慶式)
1986 母をモデルにした鉛筆画「流浪Ⅱ」が完成した翌日、母が交通事故死
1991 パリのポアンJALギャラリーで個展
1992 ニューヨークのJALギャラリーで個展
1993 富山市での高校時代、入り浸っていた喫茶店「すからべ」の元マスターで、小説『納棺夫日記』の著者・青木新門に再会する
1994 ニューヨークのKEENギャラリーで個展
1996 青木新門とインド旅行に出かける
1999 東京大学工学部建築学科講師に就任(〜2008年)
2001 武蔵野美術大学造形学部油絵科講師に就任(〜2008年)
2002 NHKの番組で元ハンセン病患者の詩人・桜井哲夫の存在を知る。著書『ペンシルワーク 生の深い淵から』(里文出版)刊行
2005 元NHKの青木裕子アナウンサーの紹介で桜井哲夫と出会う。最後の瞽女といわれた小林ハルが105歳で死去。初めての絵本『ハルばあちゃんの手』(文:山中恒、福音館書店)刊行。海辺の寒村で生きるハルばあちゃんの一生を絵にする。担当は福音館書店編集者の唐亜明(たん・やみん)。NHKの番組で川端きん(ハルばあちゃんのモデル)を描く姿が紹介される
2006 北陸中日新聞に「心の時代」を週1回連載(〜2007年まで全52回)
2008 NHKラジオ深夜便で「母を語る〜画家 木下晋」が放送される
2009 金沢美術工芸大学大学院専任教授に就任(2014年に客員教授、現在は客員名誉教授)
2011 東日本大震災直後から東北各地の被災地を訪れ「艱難辛苦に打ち震える人々を祈りで包めるのは合掌図しか頭に浮かばなかった」。桜井哲夫から合掌図を依頼され着手するが、桜井は12月に87歳で死去(作品「無心」は12年に完成)
2012 『木下晋画文集 祈りの心』(求龍堂)刊行。平塚市美術館で「木下晋展 祈りの心」が開催される。震災後に制作した大作「祈りの塔」のほか、小林ハル、桜井哲夫、母を描いた作品も展示。会期中、NHK日曜美術館で「孤独 闇 そして光を〜鉛筆の画家・木下晋〜」が放映され反響を呼ぶ
2013 紺綬褒章を受章。中国からの招待で唐亜明と一緒に四川省に野生パンダを描く旅に出発。武蔵野美術大学客員教授に就任。5歳の頃に母と富山から奈良まで放浪の旅をした体験を絵にした絵本『はじめての旅』(福音館書店)刊行
2015 日本大学芸術学部美術学科大学院非常勤講師に就任。中国の二十一世紀出版社から野生パンダを描いた絵本『熊猫的故事』(文:唐亜明)刊行。教科書『高校3年美術』に制作風景と作品が掲載される。
2017 NHK日曜美術館「リアルの行方」に出演。『熊猫的故事』の翻訳絵本『森のパンダ』(講談社)刊行
2018 中学校の道徳教科書に合掌図が掲載される
2019 2015年にパーキンソン病と判明した妻・君子の介護を続けながら、発作や幻聴に苦しむ妻をモデルに鉛筆画を描く作業を本格化する。NHKの番組で「日々、われの日々─鉛筆画家 木下晋 妻を描く」が紹介される。『いのちを刻む─鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』(城島徹編著、藤原書店)刊行
2021 中国の浙江少年児童出版社から絵本『奶奶的除夕夜(おばあちゃんの大晦日』(文:唐亜明)刊行。春節に息子家族の帰省を待つ田舎暮らしの老母を描き、1カ月で25,000部の売上げを記録する

参考:『いのちを刻む─鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』(城島徹編著、藤原書店、2019年)。本書は木下晋の誕生から現在までの壮絶な人生と作品を知るための必読書です。

上記以外にも全国各地の美術館・ギャラリーで個展を開催。グループ展にも数多く出品する。パブリックコレクションとして、国立近代美術館、国立国際美術館、福岡市美術館、神奈川県立美術館、富山県立美術館、石川県立美術館、宮城県立美術館、平塚市美術館、新潟県立近代美術館、新潟県立万代島美術館、新潟市美術館、沖縄県立博物館・美術館など。現在、妻の介護と妻を鉛筆画で描く生活の傍ら、日本大学芸術学部美術学科大学院非常勤講師として学生を指導する。

2022年10月29日