八色の森の美術展 出展者紹介

『 現れるもの 』 アクリル・キャンバス 2007年 17.0×22.0cm
中村陽子 nakamura yoko

略歴

東京都出身 30代のとき仙台に5年間在住、宮城県立美術館の〈市民のアトリエ〉に出会い、そこをアトリエがわりにして制作に没頭。多くの美術関係者からよい刺戟をうけた。

〈個展〉

1994年以降、センターポイント、かねこあーと、空想ガレリア、J.M・Gallery(N.Y.)、ギャラリーKajima、ギャラリー山口、ぎゃらりー由芽、DOKA Contemporary Arts、日仏会館 、Shonandai My Gallery、ギャラリーAmano(山梨)、Steps Gallery ほか多数

〈グループ展〉

1999 国際現代美術展[波動](光州市立美術館)ほか日韓交流展多数

1999-2011 版画みやぎ(仙台メディアテーク)、

2005
掘削の為のエスキース、或いは…(仙台メディアテーク)
16の錬金術#003(日専連BEEBギャラリー)、

2007 日本・アイルランド国交50周年特別展覧会

2009 2人展/秋山祐徳太子(RYUギャラリー)

2011 第6回ACKid2011/ヒグマ春夫企画コラボレーション(キッド・アイラック・アートホール)

2015 第2回オディッサビエンナーレ(インドNIFT)

2016 第13回ミニアチュアアート・ビエンナーレ(セルビア)

〈装画〉

「信ずるとは何か」橋本凝胤著(芸術新聞社)
「ビジネス・ゼミナール会社の読み方入門」松田修一著(日本経済新聞社)

〈作品評〉

2013 行為の痕跡から立ち上がる絵画(三田晴夫)
2015 強く動きまわるそのさき(菅沼緑)まちてくギャラリー#11
2016 我々は生きて、連続している(宮田徹也)
2005 現れ出るもの(天秤座・ギャラリー青城)16の錬金術#003
2006 兆し「ギャラリー青城通信創刊号/S市の気象」
2000 表紙を飾ったアーチスト「INFO-MART美術館⑧」
2011 チェロ奏者入間川正美とのコラボ(宮田徹也)第6回ACKid

〈収蔵〉

世田谷山観音寺、韓国百民美術館、京都東急ホテル、エクシブ箱根離宮 ほか

作家コメント

nakamura

瞬間を生きる わたしの絵

わたしの場合、創作において〈気〉というものが重要だ。
かつて、まとまった期間ヨガの訓練を受け、中国の気功師から気功を学び、横井真佐子氏のもとで身体性表現をやり*、からだの中の〈気〉の流れをたしかに感じとることができるようになった。

インドのODISHA BIENNALE 2015に描画の指導にいく機内で不思議なことを体験したことがある。
英会話のことが気になって、疲れた頭で携行した辞書の文字を眼でなぞっていたのだが、 やがて客室は就寝の時間にはいり消灯され、あたりは静かになった……わたしは手元灯をつけてしばらく辞書をみていたのだが、「いまさら英語をやったところで……」とあきらめ、目を閉じた。 ボ~っとしていると、体の中で波動が動きだし、そして、それがしだいに全身にみなぎり、強い渦のようになって、ついに頭の天辺からぬけてゆく…… わたしは体が軽くなり、とても気持ちのよい状態へ……
こういうことは、自分一人では起こらない――そのことは経験からわかる。
じつは、友人のためにとってあった通路をはさんで斜め後ろの席に、どういうわけかウコンの衣をつけた立派な体躯のインド人の僧が飛行機が離陸したあとにすわったのだが、その僧から送られた波動であることが、はじめからなんとなくわかっていた。 翌朝、飛行機を降りるときに、どういうわけかその僧がわたしの手荷物を下ろしてくれて笑顔を向けた… …そのとき、あれは、この僧だな!、と確信したのである……

ODISHAでのワークショップは、定員を大幅にこえる参加希望者であふれ、盛況のうちに無事終えることができた。
わたしの不安を消しさり、そのあまりにもうまく事が運んだプロセスは、機中で受けたあのインド人の僧が送ってくれた「エールの気」が導いてくれたのだ……

わたしは、基本的に筆は使わず、指と掌をおもな手段として描くことが多い。
その身体の自由な動きは、自分の〈動的美意識〉と〈気の動き〉とのまさに融合一体の中にある……瞬間瞬間に目の前に生成されてくる具体の像が、〈動的美意識〉の瞬間判断にさらされ、つぎの身体運動に瞬間に入る……その背後に〈元/気〉がいる……
ほとんど無心の中で進むこのわたしのアクションは、いうならば眼前の像と身体との〈宇宙的共動〉である。

制作は、ベースの上に落とされた絵具の一点からはじまる……
そのさきは、〈瞬間〉の中に凝縮された〈発見〉と〈美の指向ベクトル〉の連なり――という〈無〉の宇宙的冒険……

*身体表現を学んだときに「気のコントロール」「シンプル」「真の動き」の三つのことがかなめであったのだが、それは、わたしの今の絵画表現に通じているところがある。